住みたい富山研究所
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鑑定・とやまで暮らすならどの市町村?新ちゃんの考え(アドボカシー)講演などの記録

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この合併天気予報は、自治体の努力を報いる視点を中心に総合的に予報しています。議論を深める参考になれば・・・
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このページは私の経験と日々の学びや蓄積をオープンにしていくものです。市町村合併に関し、賛成・反対、メリット・デメリット、そしてそれぞれ個人の考えを深めるきっかけになれば嬉しいです。市町村合併の議論は地方自治再構築のチャンスだと思います。今の自治体のままでは、自己変革能力に乏しく、市町村合併という外科手術が必要であるとも思います。ただ、現在の市町村合併の議論が国主導で進められ、合併がノルマのような風潮には疑問を感じます。ビジョンのない合併は失敗します。合併が「手段」ではなく「目的」となっています。そこで私は、市町村合併の論点を明らかにし議論を深めるため、市町村合併慎重・懐疑・回避改革という視座から市町村合併を考えてみたいと思います。合併を冷静にしっかり考えようというスタンスです。私は、自治体サイズ(自治体規模)にこだわらず、住民の視点にたって知恵を生む自治体、税金を効率的に必要なところに有効に使う自治体を求めています。効率化は合併である程度実現されるでしょう。しかし、もっと大事なことは、必要なところに有効に税金を使うことです。必要なところの把握や有効に使うための解決策の策定。大きさが優位ではない部分も多いです。むしろ大きさが弊害になるかもしれません。自治体に求められていることは、「無駄使い」をなくすことです。合併で無駄使いはなくなるでしょうか。市町村合併さえすれば解決するものではなく、行政の仕事のあり方・やり方を見直すことが重要と考えています。
【私の今の結論】
合併は改革ではない。(合併は○○村のためにもならないし、日本のためにもならない)
・○○村のためにならないというのは、誰も○○村のことを考える人がいなくなる。自分たちで決められなくなる。議会があるのとないのとでは大違い。
・日本のためにならないというのは、お金を使うだけに終わるのではないかということ。やる気と知恵が日本の発展の源。
合併せずにやっていけないのなら、合併してもやっていけない。(合併に逃げてはいけない。合併で自動的に状況がよくなるわけではない)
・合併しても合併しなくても、今のままでは自立できない。(国からの財源委譲がない。合併による合理化自立効果は歳入のmax3%程度)
・合併しても合併しなくても、今のままでは行政サービスは維持できない。(行政のあり方やり方の改革が必要)
・合併しないでできないことは、合併してもできない。(合併すれば自分でやるのではなく、やってもらうことになる)
合併は損。
・合併したら実はお金の面でも損をするが、これもおかしな話。
・合併することと合併しないことが中立的になるように今後修正されるだろう。(小さな自治体へのムチ拡大や財源委譲をしない、権限の縮小)
合併は避けて通れるが、自治体改革は避けて通れない。
地方分権のためは、根本的には財源委譲が必要。合併しても財源委譲がなければ今と同じ。
合併しない自治体が悪者なのではなく、税金を無駄使いする個々の自治体が悪者。
・自治体の人口規模という単純な評価軸ではなく、税金を必要なところに有効に使えない住民満足度の低い自治体を改革するしくみが必要。
→同じ困難ならば、合併ではなく、他人任せにせず、自己決定と自己責任で乗り越えていくべきではないか。
→合併してもしなくても、各自治体の努力が報われるしくみが必要。
→自治体の大小ではなく、税金を必要なところに有効に使える自治体を評価するしくみが大事。


合併する=改革 こんな単純な図式ではない
むしろ逆のケースも多発するだろう
合併しない=現状維持
今、改革をしなければならない。市町村合併論議の本質は、改革を合併して行うのか(できるか)、合併せずに行うのか(できるか)の選択だ。
合併して行う改革は、15年後の交付税の減額という「ノルマの改革」。ノルマの改革は合併構成市町村の責任のなすりあいや無責任を生み、場当たり的な改革に終わってしまうケースが多発するだろう。
合併しないで行う改革は、地方交付税が徐々に減額されるという「自主的で本質的な改革」。合併論議であえて不合併を選択したということで、苦しさを乗り越える覚悟と説明責任を背景としたホンキの改革とまちづくり。自主的で本質的な改革が結果としてできなかった自治体こそが合併という選択をすべきだ。
改革は苦しい。苦しむプロセスなのに、責任を転嫁しがちで苦しみ後のリターンを個々に享受できない合併という選択をしてうまくいくはずがない。
平成の大合併は苦しみたくないためにやるというのが現状だから、改革が成功するわけがない。

私は、小さな政府競争社会を求めています。
私は市町村合併に関し、「意思決定は小さな単位で、事務運営は大きな単位で」と主張しています。
合併の是非を判断するポイントは、「合併特例債がないとしても合併しますか?」です。
市町村合併を学ぶリンク
市町村合併を考えるメールマガジン

反論や異論、共感メッセージをお待ちしています
住みたい富山研究所  NPP(NonProfit Person)谷口新一
掲示板 http://www64.tcup.com/6402/gappei.html

最終更新 h15.2

【論文】
月刊自治研2003-02(vol45,no521)

【履歴】
最新

新潟県頸城村でお話しました(h14.7)
上婦負合併問題研究会でお話しました(h14.6)
豊栄青年会議所(新潟県豊栄市)でお話しました(h14.6)
富山市市民まちづくりの会で富山県庁夏野市町村合併支援班長と公開討論しました(h14.5)
魚津商工会議所青年部でパネラーとしてお話しました「近未来の我が街を創造する座談会」(h14.3)
となみ青年会議所でお話しました「解剖・市町村合併」(h14.3)
富山県山田村でお話しました「山田村は超勝ち組に」(h14.3)
福光町山田成人クラブでパネラーとしてお話しました(h14.3)
北陸中日新聞「ズーム」で紹介されました(h14.2)
富山県福光町十日会でお話しました「合併より大切なこと」(h14.2)
新潟県安塚町の広報で紹介されました(h14.1月号)
朝日新聞からコメント取材を受けました(h13.12掲載)


まちづくり成功のシナリオ
  シナリオ
超勝ち組 合併しない 予算的に多少他の地域より苦しくなる(苦しさのレベル分析)が、自己決定と自己責任の「考える当事者職員」がやる気を出して、地域の問題解決に取り組む。住民とのコミュニケーションが功を奏し、税金を有効に使い、個性的なまちづくりを実現。
勝ち組 合併する 合併による新しい風と視点から、専門家職員が育ち、地域の問題解決に取り組む。合併による効率化も実現し、間違いのない安心と信頼のまちづくりを実現。
負け組 合併しない 予算も厳しくなるし、職員もやる気がでない。住民とのコミュニケーションもなく、旧態依然とした自治体。ただ、当事者であるので、住民と生活の問題意識を共有し、いっしょに問題解決することもある。小さいので個性はそれなりにあるまちづくり。
超負け組 合併する 合併による自立効果(効果のレベル分析)はせいぜい数%。目的もなく、住民との議論もないまま時代に流された成り行き任せの合併で、特例債も単なる先食いをして、自己負担の借金だけが増える結果に。専門家職員も組織優先の冷たい専門家となり、官僚的になり、国や県の天下りの温床になり、旧市町村の地区既得権に縛られ、住民とのコミュニケーションもなく、当事者意識もなく、画一的で上意下達の事務処理的なまちづくり。



大きな誤解
(1) 合併すれば地方交付税が減らされない?→NO!

以下の図が流布しているが、嘘ではないがホントを語ってもいない。

(出所)山口県のホームページ  http://www.pref.yamaguchi.jp/gyosei/shicho/q-a-05.htm

山口県が悪いのではない。多くの自治体で上記の概念図で説明している。
総務省のホームページには、上記のような図は一切出ていないようだ。
総務省のホームページには以下のように書いてある。
”合併後10カ年度は合併しなかった場合の普通交付税措置を全額保障。さらに5カ年度は激変緩和措置。”
http://www.soumu.go.jp/gapei/sochi.html
措置の保障であり、合併前の普通交付税が保障されているわけではない。
つまり、算定替特例は、あくまでも合併して損をしないための制度であり、得の部分は全くない。
ホントは、下図のように合併してもしなくても下がっていく。合併すると下がったかどうか見極めがつかないだろうが。

合併しないと「貧乏くじを引く」という人もいるようだが、算定替特例についてはあてはまらない。
ただし、合併特例債の部分は別。もちろん、特例債も借金なので後世に負担が増えるだけになるかも。
合併するかしないか、財政的なメリットはまったくなしと考えて検討するのが、責任ある選択と私は考える。

(2) 合併すれば大幅に効率化される?→NO!
合併による直接効果(合併でしか実現できないこと)は、2点。
1、合併特例債
2、首長の削減(議員の削減は間接効果かも)
一般的に効果とされることの多くは、間接効果(合併でやりやすくなるかも・・・という程度の効果)である。

しかも、1の合併特例債は、税金を使う方法。今しなければならない方向とはまるで違う。
残るは、唯一、首長の削減くらい。合併による効果は高々そんなもの。
議員については、合併せずとも削減できる部分はあるし、逆に、大きな市の議員になることで歳費がアップする。議員数は減るかもしれないが、議員歳費総額はあまり減らない。歳出が減らないのに、自治にとって大事な頭の部分にあたる議員がいなくなるのは、自治にとって本末転倒。
合併して自動的に効率化されるのは、首長や議員の削減であり、その削減効果は歳出の1%程度でしかない。
→本質的な歳出削減、税金を必要なところに有効に使うしくみの改革がより重要では。

議会費は、歳出のせいぜい1〜2%。
首長や議会の存在自体が、行政効率化の悪役なのではない。

財政規律は、大きな自治体ほど優秀ということはいえない。


合併したらどうなる
合併しなかったらどうなる

合併しなかった場合のリスク
●合併特例債がもらえない
それ以外の財政的な差は問題なし!?
●権限を縮小される可能性もある
水平補完・・・隣接市が事務代行
垂直補完・・・都道府県が事務代行
●税源委譲がない可能性もある
but 合併しても委譲がない可能性も大
●10年後20年後合併する時は吸収合併となるかも
合併しないと従来の広域事務(ごみ処理など)から仲間はずれになる、との危惧も聞かれるが道義上もあり得ない
●財政再建団体になるかも


市町村合併反対論文
私が市町村合併に反対するこれだけの理由

主な反対理由
市町村合併で議員数が減り行政が効率化されるというイメージが先行しているように思われるが、議会費は小さな村でも予算の3%程度であり、効率化に大きく寄与するわけではない。
市町村合併で職員が減り効率化されると思われているが、短期的には職員は減らない。官と民の役割分担や外郭団体など、本質的な問題に手をつけないと合併は単なる問題の先送りとなる。
合併特例法で金銭的恩恵を受けられるかのようなイメージがあるが、実は有利な借金ということだけであって、3割強は自己負担。合併により新たな借金を増やすだけということにもなる。また、純粋にアメといえる部分は、年間予算の2〜5%程度にすぎない。
大きな自治体だと、当事者たりえなくなる
例えば過疎の村が都市と合併した場合、過疎であるという問題は薄まってしまい、問題が顕在化せず、誰も問題解決しようとせず放置され、より不幸な状況になる。地域の問題を有効的に効率的に問題解決していくためには「当事者である」ということが重要である。
直接民主主義の機能低下
住民自身が考え行動するシステム、民主主義のセキュリティとして重要な直接請求や住民投票制度が機能しにくくなくなり、中央集権化が進展する。合併で当事者ではない人が増えて自治が疲弊する。
間接民主主義の機能低下
大きな自治体では、普通の人が議員になれなくなる。地域的な実力者や組織をバックに持つ人しか当選できなくなり、議員がますます固定化され多様化が失われる。閉塞感が生まれる。
「サービスは高い方に、負担は低い方に」という理念で合併が推進されようとしているが、これは自己責任の放棄であり、努力してきた自治体に失礼。こういうことが安易に許されれば、今後どの自治体も努力しなくなる。誰かが助けてくれるという風潮は日本の未来にとっても悪しき前例となる。
広域化した生活圏をベースに合併を行い地域間競争力をつけるというが、実は、かえって競争の素地がなくなる。これは、生活圏に複数の自治体があり、小さな自治体間のサービスを主体者である住民が広域選択するという「擬似 voting on foot」という競争条件がなくなることによる。合併により、行政サービスが上意下達化し、自治体から知恵や工夫がうまれにくくなる。

以下詳細
■■■アメはまやかし?■

アメは極端にいえばまやかしだと思う。合併特例法で新たな借金が増えるだけだとも言える。今回の合併特例法でも、合併に関する建築物などに2/3くらいの補助があるだけです。1/3は自己負担です。つまり、有利な借金ということでしょうが、自己負担がある以上、有利だからといってそれに目がくらみ、不必要な消費(将来ビジョンがないから投資ではない)を行えば、市町村合併で借金が増えただけということにもなりかねないと思います。
自治体の財政危機は深刻です。市町村合併は、財政危機を乗り切る体制をどうやってつくるかの一つの選択肢に過ぎません。選択肢の一つなのに、それが目的化されていることが心配です。むしろ合併するといらぬ建築物などをつくるわけですから、借金がただ増えるということにもなります。合併により職員や住民の意識改革などが期待されるかもしれませんが、アメに目がくらんだ合併では、自己責任意識に乏しく、他力本願の自治体が想像されます。
私は、合併のいかんにかかわらず、足元の自分の自治体を見つめるというのが、一番の早道だと思います。合併特例法はいろんなメリットがありますが、私は、そういう一時期のアメではなく、ずばり、地方交付税を直接減らすのがいいと思います。自己責任で自治体が決めなければならない環境にするわけです。今は、アメがありますよというだけで、どうやって効率化をするかなどの将来ビジョンが見えません。私は意思決定プロセスは効率化すべきではないし、そもそも意思決定プロセスを合併で効率化できるというのが幻想です。合併しても、その自治体を形成する人口はそのまま足し算であるから。それぞれの住民の考えがあり、合併してもそれぞれの1つの住民の考えですから。
意思決定の効率化は行政という機能そのものの否定だと思います。効率化は事務運営的なところですべきです。一部事務組合などをうまく活用すべきと思います。一部事務組合には問題が指摘されていますが、安易に市町村合併といわず、一部事務組合に問題があるなら、それを改善するように努力すべきです。これができないで市町村合併をしようというのは、各旧市町村に自治権がない分、上意下達で地域的調整をなるべく少なくして行政運営しようという意図が見え隠れします。一部事務組合を広域連合にするなど、広域自治を機能させるように知恵を しぼるべきです。それができずに安易に合併に走ろうとすることは、大きな自治体主導で周辺地域の切り捨てへの道を歩もうとしている証拠だと思っています。2002.7.7補足

【新ちゃんメモ】
有利な特例債というが、有利か不利かは行政マンの視点である。有利といっても、借金は借金。不必要なところにお金を使っても・・・
アメという概念自体がおかしい。アメはどこから来るのか。国からもらう?、でも、国のお金はどこから?・・・国というみんなの税金からアメが捻出されているにすぎない。3割強という自己負担分もそうだが、アメの7割弱の部分も自分たちの負担になる。
また、アメは循環型社会の理念からも逸脱している。自治体の役割は、世代循環や地域循環など、未来への継続的な循環社会を築くということだと思う。一時的なアメは、過去、現在、未来を見つめたしっかりした歩みではなく、単なる消費癖をつけるだけとも思う。循環指向ではない「アメ」というまやかしは、お祭り騒ぎ。バブルである。

まあ、ご飯ではなく、まさしくアメ程度かな。富山広域圏なら、予算規模2000億強。で、アメは合併特例債建設事業費を除くと100億弱。しかも、合併による必要不可欠臨時経費みたいなものを除くと、純粋なアメは50億くらいで しょうか。いずれにしても、一年の予算の2〜5%程度ということでしょうか。この辺は精査要。

合併はお金の損得を考えても実は損です。 ただ、損と言っても、元々は自分たちが国に納めた税金と取り合いという意味で損ということですが・・・。

現在の地方交付税制度も、各市町村の努力に報いる部分が少ないなど、モラルハザードの面はあるかもしれないが、市町村合併もある意味モラルハザード。市町村合併は現在の問題点を改革しないで改革しようというモラルハザードの上塗りとも言える。現在の問題点を改革することを諦めた国の責任回避であるとも思う。モラルハザードの上塗りをなくすためには、合併特例債という制度はない方がいい。合併特例債があるから、長期的なまちづくりが歪曲されてしまって、本来の議論がなされていないのではないだろうか。2002.6.30

モラルハザードの上塗りという意味では、合併特例債が一番大きなものだが、合併前に基金を取り崩して使い切るとか借金を増やすとか、こういう動きもモラルハザード。こういう動きが起こるのは、損をしないため。やはり、合併でこれまでの借金などの努力度合いをウヤムヤにするのではなく、自己責任で改革する道を国が厳しくすべきではないか。優しい親心ばかりが優しい親ではない。自立のためには厳しくすべきである。厳しさに耐えられない自治体があれば、その時点で県や国がそれこそ自治の補完の原則で補完すればいい。入口でよかろうというセキュリティでは自治体は努力しない。入口ではなく、結果として自己改革できなかった自治体の住民(自治体自体ではない)を救うという出口での施策が一番日本にとっても大事であると思う。努力を評価する健全な競争社会のためにも。厳しさの中から自分たちの自治体という自治意識が芽生える。合併特例債という甘えの中からは自治は再生しないのではないか。2002.6.30

合併の是非を考えるポイントの一つとして、「お金(税金)の使い方がうまいかどうか」が判断の目安になると思う。合併しないと「貧乏くじ」をひくようなものだという人もいるが、日本全体としての税金は合併してもしなくても同じ。ならば、税金をより効率的により有効に使う自治体を評価すべき。いわば、うまく税金を使えない自治体には公社会からイエローカードのメッセージが必要。自治体規模が大きいか小さいかではなく、税金を有効に使えるかという視点、うまく使えるかという視点が最も大事。例えば、人口32万人の富山市とそのお隣人口2000人の舟橋村、どっちが税金をうまく使っているか、まさにその視点が大事。人口規模ではなく、税金をうまく使っているかで合併の是非を判断したらいい。税金をうまく使う自治体を残し、うまく使えない自治体はムチを。これが日本の未来のために最も大事なことではないか。2002.7

"やっていけない"と"避けて通れない"は違う。やっていけるかいけないかは、データである程度検証できるが、避けて通れるか通れないかはデータではなく、精神的な兵糧攻め。洗脳みたいなものであり、行政は説明責任を果たしていない。2002.9

昭和の大合併と平成の大合併は違う。昭和の大合併で合併して失敗とされるのは、自治体として残らなかったことで、その後の手厚い地方交付税という甘い汁を"もらい損ねた"という失敗体験も一因。(逆にいえば、自治体として残ることで、甘い汁を吸えた成功体験かな)。もし、今回の合併でも、同じようなことを考えて合併しない選択をするのならそれは間違いだ。そういう安易な不合併はまちづくりに失敗する。昭和の大合併の失敗の多くは、その後の地方交付税をもらい損ねた失敗であったが、平成の大合併の失敗は、合併するにしてもしないにしても、改革し損ねた自治体が失敗という烙印を歴史上に残すことになるだろう。
合併推進派がいう「過去を見てばかりいる反対勢力」というのはある意味あたっている。合併せずに甘い汁を吸えるという幻想があるならその合併しない選択は間違っている。苦しみながらも自己改革し、自分たちによる自分たちのための自治を行っていくのなら、その選択は間違っていない。つまり、合併してもしなくても、改革しない・できないのが一番の失敗・住民にとっての不幸となるであろう。2002.9

損得の問題ではないし、国全体のことを考えなければならないが、それにしても一番得をするのは国。国は財源委譲の約束もないし、国自身の改革のシナリオもなく、最初に市町村に合併を押しつけるのはどうか。地方財政が苦しいのは、国の財政(借金)政策に協力してきたからだし、借りたもの勝ちという財政規律を生む国の制度があったから。2002.9

一番得をするのは国。損得の問題ではないが・・・。対等といっても、実質吸収する側の大都市は、お金の面では損をする。しかし、周辺の小さな市町村という子分が増えるわけで、政治家としての野望や精神的な優越感を満たせるということでは得な面も。一番損をするのは、大きな市と合併する小さな町村。また、小さな町村の職員からみれば、大きな市と合併することで、給与が高くなる。誘惑。議員についても、もう出馬しないのなら議員歳費がアップする。これも誘惑。首長は、いいことはないが、合併を決断したという最後の首長として名が残る?という名声を得ることができる。責任ある選択という責任回避をして。住民には、サービスは高い方に負担は小さい方になんていう自治を壊す誘惑。つまり、住民にはわからないように、住民が期待することとは反対の「大きな政府」の方向が市町村合併ではないか。加えて、地方自治の本旨である、住民自治(住民の意思尊重)と団体自治(地方による中央権力の抑制)の両方の自治力を弱めながら。2002.9

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■■■「個性ある自立」とはならない■

「個性ある自立」と言いますが、 「個性」って、そもそも小さくないと出しにくいと思います。大きくても「個性」は出せると思いますが、前提として「考える職員」がいないとダメ。あと、大きな組織だとどうしても官僚化するので、考えたプランを実行にうつせるということ。でも、大きい自治体だと疲れてなかなか実行までうつせないのでは。また、考える職員のためには、専門家の方が考える職員になりやすいか、 それとも、小さな自治体の何でも屋の方が考える職員になりやすいか。私は、考える→実行にうつす→住民に喜ばれる、というところまで考えると、後者だと思っています。あと、「自立」ですが、自立って、お金の面で自立しているということも大事ですが、それがすべてではなく、自立というのは、いかに地域資源を見つめ活かすかということだと思います。そこの地域の人や歴史など。会社でいえば、経営資源ということになると思います。経営資源をいかに活用するかが企業の生き残りのポイントだと思うけど、自治体経営においても同じだと思います。自立は、お金ではなく、もっと大事なもの、誇りとか意識かなぁと。そう考えると、大きくなるということは、実は「自立」からも遠ざかることを意味すると思っています。

【新ちゃんメモ】
そもそも、大都市と地方をいっしょにしてもらっては困る。大都市が地方を食わしてやっているというようなおごり。確かに、無駄な公共事業も多かったと思うが、だからといって交付税を大都市と一緒にするわけにはいかない。なぜなら、地方は高齢化が進んでいる。これは、大都市の若い元気な労働力を地方が送り込んでいるということでもある。親をほったらかしにしたりした受け皿を地方は担っている部分もあるわけで、その社会的コストは大都市から地方へのお金の交付金で対応するというのは、合理性が見いだせると思う。2002.2.21

世代循環型のまちづくりが必要だと思う。世代循環型のまちづくりの本質は、"先祖から続く、そして自分が築き上げた生活の場を次世代に引き継ぐために最低限の社会的なしくみ"である。高岡の万葉線は、赤字でも高校生が通学するのに必要な社会的装置。そして高齢者にとっても病院への欠かすことのできない足。スクールバスなんかも、世代循環にとって大事な社会的装置といえるだろう。今後、人口減少期を迎え、いかに世代循環型のまちづくりをしているかが重要である。富山で言えば、上平村が世代循環型に一番近く、もっとも「先進的な」まちづくりであるとも思う。誰も上平村が先進的とはまだ気づいていないかもしれない。しかし、将来、きっと上平こそ、先進的であったと多くの人が気づくことになると思う。もっとも世代循環型でないのは舟橋村。舟橋村は世代循環型という視点からみれば、完全に衰退のシナリオにある。つまり、舟橋村は人口が急増しすぎている。しかも、人口構成がいびつ。それに比べ上平村は、高齢者もいるが子どももいる。世代人口構成がこれからの日本のあるべき姿の先進事例と言ってもいい。そういう先進的な場所において、いかに自治やまちづくりを進めていくか。合併はどのような影響があるのか。自分たちのことを自分たちで考え自分たちで解決していく。今後日本に求められる世代循環型のまちづくりのためには、合併は不必要である。2002.9

財源委譲なくして、地方分権は実現できない。合併しても、財源委譲がなれば、お上に頼るシステムは変わらない。お上に頼るシステムを変えなければ、合併はむしろ画一的な国の施策になびくことになるだけ。2002.9

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■■■意思決定は小さな単位で、事務運営は大きな単位で■
鶏口となるも牛後となるなかれ

自治省のホームページを見た。 合併のメリットとして、住民の利便性の向上や行政サービスの高度化・多様化、行財政の効率化などが挙げられている。 しかし、合併したからといって、本当にメリットが実現できるのだろうか。 確かに、小さな単位での「事務運営」には非効率な面もあろう。現在、水道や消防、国民健康保険などは各自治体で行っているが、これらはサービスアウトプットが自ずと決まっている分野である。こういう事務運営分野は広域事務組合や広域連合などの広域化による業務効率化をもっと進めるべきだと思う。 しかし、地方自治の極意は小さな単位での「意思決定」で、住民のニーズを的確にとらえ事業として具体化することだと思う。 富山県の場合、介護保険は広域で行っているが、こういう知恵と工夫が必要な分野こそ、小さな市町村単位で行うべきだったのではないか。 介護保険や保育など、知恵を絞り工夫すべき分野は、住民の声を自治体が知り、住民も自治体の一員として責任を果たすために、顔の見える小さな単位で運営すべきだ。 市町村合併は、事務運営だけでなく、意思決定までも大きな単位で行おうとすることで、今後の分権型地方自治に肝要な知恵と工夫がしぼんでいかないか心配だ。 事務運営は大きな単位で行い、意思決定は小さな単位で行うべきだと思う。自治権がないのに、真剣に考え行動することはできません。 「意思決定することができる」からこそ「真剣に考える」のだと思います。真剣に考えるためにも、意思決定単位は小さく残しておくのがいいと思います。もちろん効率化は必要なので、水道事業や消防事業など、outputに知恵や工夫が必要ない分野は各市町村でやる必要はないのではないか。各市町村で意思決定する必要はないのではないか。一部事務組合などで実務を行えばよい。県の役割もこれまでの3層構造での中間としての監督としてではなく、単純作業を請け負う組織として位置づけられてもいいと思う。富山県は介護保険を広域で運営しているが、介護保険みたいに知恵と工夫が必要なことはそれぞれの自治体独自で運営すべきだと思っています。
また、何より大切なのは、自治体のサイズではなく、行政の仕事のやり方や民間との役割分担を見直すことだ。 効率化ということでいえば、大きくなれば効率化するとは言い切れないデータも多い。
参考:人口1人あたり人件費など
ちょっと論点がずれますが、私は、迷惑施設と市町村合併の関係について、考えているところです。 私は、itがこれまでの間接民主主義から直接民主主義へ近づくきっかけにもなるかなぁと思っています。 迷惑施設には、it以前から直接投票条例みたいな事例が多いです。 議員のみなさんには、拒否感があるようですが、私は間接民主主義を補完する意味で直接投票は重要と考えています。 さて、私の認識は、市町村合併により、自治体サイズが大きくなることで、直接投票が機能しなくなる。つまり、自分のこと(迷惑施設)と考える人は、自治体サイズが大きくなれば、比率的には小さくなり、直接投票で否決されることが少なくなるでしょう。この辺に、実は、市町村合併のうさん臭さを私は感じています。自治ではない、力みたいなものを感じています。
自治体の役割でもっとも重要な仕事は「優先順位」をつけることではないか。とすれば、自治体サイズが合併で大きくなると、全体が見えにくくなり、「優先順位」をつけるのが難しくなるのではないか。

小さな政府の実現のために、サービス毎に広域対応をしたり、自分でできないことや自分ですると非効率なことは県に業務をアウトソーシングするという制度が考えられると思います。水道事業や消防事業のように、おのずとoutputが決まっており、工夫や住民とのコミュニケーションをしなくても、アウトカム(outcome、成果、住民満足度や社会的効果)が得られる分野は広域対応すればよい。バランスシート作成など、どの自治体でも同じ業務は県の専門官に委託(アウトソーシング)するということも考えられます。しかし、知恵や工夫、住民とのコミュニケーションでアウトカムが大きく左右される福祉や企画のような分野は、自立の根幹である意思決定の部分を小さな単位(自治体)で残しておくべきであると思います。意思決定の部分があるからこそ、やる気が生まれ、考える職員や考える住民が育ち、知恵が生まれると思っています。今、コミュニティが大事であると言われています。小さな自治体を、問題解決する一つのコミュニティと考えることができると思います。小さな自治体の当事者職員が住民の問題解決に動きだす。これこそが、日本の活力になると思っています。

【新ちゃんメモ】
合併だけでなく、一部事務組合、勧告権のある広域連合も含めた多様な広域行政を検討すべき。
県は、市町村のアウトソーシングを請け負うという位置づけでもいいのではないか。
文化は小さな単位で、事務運営などの文明で解決できる部分はプラットフォーム化。

「個性ある自立」のためには、専門職を持てる大きな自治体か何でも屋の小さな自治体か。一概にいえないが、少なくとも言えることは、意思決定できるという自己完結がすべての根源ではないかということ。

事務組合には問題も多いというのは理解しています。「事務運営を大きな単位で」というのは、一部事務組合や広域連合などが考えられると思いますが、市町村合併に関し、 県の位置づけを考えたとき、県が小さな自治体にできない事務を担う(アウトソーシング)ということも考えられると思います。 ただ、県の方は、市町村より上という感じの存在でしたのでプライドが許さないかもしれません。合併しても合併しなくても、交付税は減ると思います。小さな町村の方が減り方が大きいでしょう。ただ、他人任せにせず、自分たちで努力していくか、合併して一旦うやむやになっちゃうかだと思います。私は、鶏口牛後ということで、合併せず苦しみを乗り越えて、自分たちの町を手づくりしていくというのが住民満足度のために大事と思っています。

自治体規模が大きくなると、上意下達になりやすい。また、圧力的?組織との癒着が起きやすくなる。「合理性」→「力」というパワーゲームの始まりではないか。改革をしなければならないこの時期に合併という自己責任のウヤムヤや改革にとって障害となりうる余計な配慮を必要とする合併をすできではない。小さな自治体であれば、住民と癒着?している事例も見受けられるが、組織と癒着するよりよっぽど健全である。2002.2.19

イメージ向上など「大きさの競争」をしても得るものはない。大きさという横並びの競争をしても得るものはない。「問題解決の競争」をすべきである。問題解決の競争をして、住民から共感を得られれば自然に人口は増える。そういう努力をしないで合併して大きくなってイメージを向上させようというのが大きな勘違いである。2002.2.19

「町」から合併して「地区」になってしまうと、自己決定と自己責任がないのだから、やる気が起こるわけがない。自治権がない「地区」になってしまえば、何を言っても結局は相手にされない、または大きいもののいいなり。2002.3.3

合併しないことが負け組ではない。自治を放棄し、頭を持たないことが負け組になる。合併しない場合は、住民のやる気と地域に対する誇りが前提。2002.3.3

合併すれば、県や国からの天下り先として最適なターゲットに。特殊法人などが天下りとしての魅力が薄れてきている。そこで出てきた合併市町村という天下り先。住民の問題解決の基礎自治体が県や国の食い物になる。地元に密着して頑張っている職員が悲惨。誰も頑張らなくなる。2002.3.3

コミュイティが大事と言われて久しい。現自治体には既得権的問題も多いが,自治体はコミュニティの一つ。コミュニティが大事と言っているのに、なぜ、合併して、住民から離れた大きな組織を作ろうというのか。現自治体の改革を放棄するような考え方やアプローチからは、到底コミュニティが再生創生するはずがない。2002.3.3

合併でしか実現できない合併の直接効果は、(1)首長や議員数の削減、(2)合併特例債。国が提示しているこれ以外の効果(いわば間接効果)については、合併すると「やりやすくなるかも効果」にすぎない。合併してやりやすいことをいかにも合併すると自動的にできるように過大評価する、または利用して合併を推進している。合併の間接効果は効果ではない。間接効果は合併しても自動的に達成できるわけではないし、合併せずにそれを達成できるのなら、それは効果とは認められない。2002.9

合併は、知恵や工夫を生むという、日本の付加価値や競争力のためにも疑問に思います。また、合併によるささいな効率化や合併特例債で長期的なまちづくりの視点が失われ、税金を「必要なところに有効に使う」という行政にとってもっと基本的で大切なことが軽視されている。大きくなったら、無駄はもっと大きくなると思う。私の経験からも。地域の小さな?力のひとつひとつの結集が日本の根底の成長力になってきたし、これからもそうだと思います。2002.9

経済成長期にはピラミッド型組織や発想、マネジメントは、日本の発展にとって多くの役割を果たしたと思うが、今日、行政であれ企業であれ、ピラミッド形組織が疲弊、そして社会的機能不全になりつつあるという認識が深まりつつあると思う。市町村合併は、小さな自治体をなくし、大きなピラミッド組織にしようというのだから方向が間違っている。たとえ、大きくなった市に権限や税源が委譲されたとしても、その市がピラミッド型の大きな組織であるから、せっかくの権限や税源が有効に活用されない。 これからの日本をささえるのは、ネットワーク型組織である。それぞれの組織(意思決定、自己完結)はより小さく、そして、時には連携する。突き詰めれば、個に立脚した社会。NPOがなぜ注目されているかといえば、端的にいえば、機能不全のピラミッド型組織ではないからだと思う。自治体でいえば、大きな市を解体し、小さなコミュニティ単位で意思決定する議会を持ち、小さな自治体で解決できない問題については、ネットワーク的事務組合的なしくみを構築して広域公共的な問題解決を目指せばよい。日本を再生するには、大きくすることではなく、より小さくすることである。より小さくすることで、考える住民が育つのであり、大きくしては、魂のない空虚な日本、堕落する日本へと邁進するだけだ。小さな自治体はいわば、その地域に密着した、その地域によるその地域のためのNPO。小さな自治体も行政としての機能不全はあるのだろうが、大きな自治体よりはましだ。それは、大きな自治体は、これからの日本をささえるNPOとは正反対の組織だからである。合併して、域内自治とかコミュニティ自治を唱える推進論者もいるようだが、ある意味「騙し」である。域内自治やコミュニティ自治をホンキで大事だと思っているなら、大きな市を解体すればいい。なぜ、合併にこだわるか。それはある意味明確である。合併により、ピラミッド構造でより大きな力を得るためだ。決して住民のためではない。形式だけ域内自治を整える、または上意下達の域内自治にしようということだ。2002.11

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■■■自己責任の放棄■

合併で「サービスは高い方に、負担は低い方に」といいますが、この考え方はこれまでの各自治体の知恵や工夫をないがしろにするものと思います。 まったく失礼な話です。 砺波広域圏のように、努力して水道料金を下げている団体もあります。「サ高負低」の考え方は、努力せずとも合併すれば水道料金が下がるという考え方です。自己責任が問われている日本の今日、こういう考え方の蔓延は日本の未来へも暗い影を落とします。大門町も合併に備えて(あえて備えてと表現)、大規模投資を行ったりしています。合併の前に施設を作っておこうという姿勢です。 こういう発想こそ転換すべきだと思います。「サ高負低」は合併を推進するがためだけの一種のアメです。極めて体に悪いアメだと思います。合併するということは、相手の悪いところも受け入れるという覚悟を伴って初めて成立することです。合併を真に成功させるには、「サ高負低」ではなく、「サ低負高」にして、そこで浮いた財源を新しい合併後の飛躍のための基金にすればよいと思います。

【新ちゃんメモ】
公共料金格差に是正するというのは、受益と負担を不明確にするのでは。おんぶにだっこの発想。合併前に大型施設を作っておこうというような誘因も働きます。実際公債費比率の低い富山県大門町では、近隣市町村に合わせるべく(合併でこれまでの努力が無になるので、損をしないように)安易な公共投資が行われる事例が見受けられます。

自己責任の放棄というのは、過去に対する借金などでも言えることですが、同時に将来的なことに目を向けると次のようなことがいえます。合併しようがしまいが、これから各自治体は経営努力をしないといけません。苦しみも多いでしょう。でも、合併してしまえば、苦しみの努力が自分たちのものとして還元されません。バカバカしくて誰も努力しなくなります。お金をよりお上から持って来ることに専念するようになるでしょう。


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■■■自治体間競争が失われる■

自治体においても、民間市場同様、競争があるという環境が大事です。選択されるということが本当の競争を生むでしょう。大きな自治体になってしまえば、保育所など多様化したカフェテリアメニューは整えられるかもしれませんが、一つの自治体であり、競争という環境ではありません。競争という環境がないので、カフェテリアメニューがあまり機能していない、もしくは非効率であっても住民側の視点にたって改善されません。今の行政の評価行動パターンは、自治体間「比較」ということにつきるように思います。比較するものがなくなって(少なくなって)、奢りが出てくるとも思います。もちろん、大きな自治体同士で比較されるわけですが、一番大事な住民による選択というプロセスがありません。生活圏の中に複数の小さな自治体間のサービスを広域選択するという「擬似voting on foot」という競争環境が大事です。主人公である住民が選択するという環境が是非とも必要です。もし、生活圏に一つの自治体ということになれば、競争環境がなくなって、ますます上意下達ということになると思います。

【新ちゃんメモ】
例えばトップ300の自治体で競争するといっても、それは、行政が勝手に競争 していることになってします。住民が選択するという環境のない競争はホントの競争ではないと思います。 自治体間の比較で終わってしまうと思います。住民が選択できないということは、行政の勝手ご都合主義を助長し、個性のない画一化の方向へ行くと思います。

主権者主体者である住民から選択されるという緊張感が自治体には必要。生活圏で合併するというが、これはある意味地域独占になるということ。真の自治体競争とはならない。住民発意の競争ではなく、うわべだけの競争になってしまう恐れがある。

民間では選ばれることによりサービスが向上する。自治体も選ばれることによって行政サービスが向上すると考えられるが、住所移転の困難さや住民自身のフリーライダーをなくす意味でも一つの自治体との係わりと参加も重要である。しかしだからといって、競争ということの重要性が否定されるわけではなく、自治体のサービス向上という視点での独自の競争モデルが必要である。競争ということの重要性を自治体に応用するとすれば、「選択」するということは難しくても、主権者である住民が複数の自治体を「見ている」ということが重要と思う。生活圏の中に複数の自治体があり、それぞれの自治体が、住民の視点で知恵競争をする。その知恵競争に対して住民が応援したり、共感したりするということが重要と思う。合併で一つの自治体になれば、完全に与えられる立場に置かれ、閉鎖的な社会主義国のようになってしまう危惧もある。一つの自治体ではなく、複数の自治体を、住民が「見ている」ことは、政策の有効性を住民とコミュニケーションしながら評価するという意味で非常に重要。2002.6.23



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■■■セーフティネットの低下■

生活圏に複数の自治体があることの重要性を認識すべきと思います。生活圏に一つしか自治体がなければ、その自治体の理念から逃れることはできません。自治体サービスに不満があったときに隣の違う自治体のサービスを選択するということだできません。保育所は広域入所ができます。保育所については自分の生活パターンや理念から保育所を選択できます。大きな自治体の方がカフェテリア的に多様化していると思われがちですが、思いのつまった個性ある多様化ではありません。人口が多いから形式的にしかも都市部に特別保育のある保育所を開設できるということにすぎません。本当の多様化というのは、小さな自治体がそれぞれの思いや情熱で保育所を開設し、それぞれが広域入所で競争することで実現されるのではないか。本当の意味の多様化と選択は、一つの自治体(意思決定機関)がそろえるメニューによるより、小さく多様な意思決定機関と広域入所というソフト面により実現されるのではないでしょうか。
合併推進の論点として、生活圏の広域化ということがあげられています。生活圏が広域化したからといって合併して対応するというのは安易だと思います。意思決定機関としての小さな自治体が存在していることこそ多様化だと思います。個性ある思いのつまった多様化から住民が選択するというのがいいと思う。
また、あまり考えたくない事態ですが、大きな自治体が暴走したときの「生活のセイフティネット」という意味からも、小さな自治体の存在意義はあると思います。生活圏に複数の自治体があれば、逃げることができますが、生活圏に1つの自治体になってしまえば、逃げることができません。

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■■■参加と参画の単位■

私は合併どころか、分割や分区があってもいいと思っているくらいです。つまり、新しい自治体が生まれるということです。 高岡市戸出地区では、斎場の建設をめぐり、住民がお隣砺波市への編入を求める請願が出されています。こういう状況を見ていると、戸出町をつくる・・・ということも地方自治にとって大事な視点なのかなと思ったりします。つまり、「参加と参画の単位」としては小さな自治体しかあり得ないということです。分割や分区はエゴ的発想であまり好きにはなれませんが、合併もそれと同様、もしくはそれ以上にエゴ的とも思います。市町村合併は、合併ありきで進んでいますので、参加と参画のまちづくり、知恵を生み出すまちづくりという意味では危惧しています。
意思決定への参加は規模には関係ないという意見もあるでしょう。でも、参加するというのは、参加して、何か変わるみたいなプロセスがあるから参加すると思います。自治会やPTAに参加しない、むしろ逃げ回っているのは、上意下達や校長のいいなりの仕事だからでしょう。あと、自治体規模が大きくなると、無力感が大きくなります。無関心の大多数を相手にいちゃもんをつけている状態です。正当で合理的な意見や考え方も説得には大きな労力が必要です。1市民として、そこまでできる人はいません。つまり、職員などが本気になったことしか地域で実現されなくなります。つまり、一人の市民が参加し参画するには小さな自治体、完結までのプロセスが見え、責任を持って係われるという参画の単位が必要です。

【新ちゃんメモ】
>行政に無関心は困るけれど、全員が行政に対して何らかの大きなエネルギーを使わないとやっていけないというのは、現実離れしていると思います。
はい。住民参加とか言われていますが、一つの「罠」です。地域の問題を住民みんなが共有して解決していくというのは現実難しいです。私は、「うまく任せる」ということが重要と思います。ニセコなどが実施しているような「行政参加」 というような概念でもあります。つまり、情報公開とか説明責任をしっかり担保した上で任せる。任されることで、自治体職員が住民に近づき、住民のニーズを くみ取り、そして、組織に持ち帰り、自分のできることをやっていくというスタンスです。何でも住民参加は、行政の役割の放棄かなと思っています。それぞれの分野で一生懸命やって、で、解決できないものを パートナー的に協働で実施。

生活圏が大きくなり、受益と負担を一致させる意味でも合併が必要といわれているが、確かに合併で多少は一致させることはできるだろうが、大きくなるだけでは問題は解決しない。むしろ、受益と負担を一致させる最大の要因は、料金など受益者負担をいかに合理的に行うか、県や国からの税源委譲ということであり、大きくなるだけでは問題の先送り。2002.6.2

住民参加のためには、税金がどこにどれだけ使われているかなど、住民が係わる単位、自分のことと考えられる単位、自分の子どもにも係わるという世代循環の単位が好ましい。2002.6.2

自己決定・自己負担・自己責任や住民参加を機能させるためには、自分たちの税金がどのように使われているかを把握できないといけない。個別的な把握ではなく全体を見渡せて、優先順位を住民それぞれが判断できる規模が最適である。人口が10万や30万でそのようなことが実現できるとは思えない。また、人口だけでなく面積的な限界も当然あるものと考える。2002.6.2

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■■■住民の声が届かなくなる■

市民の声は大きな自治体では反映しにくくなると私は考えます。 合併によって作られる地域審議会などの制度は反故にされます。 自治会を見ればわかります。行政の代弁者になっています。行政の仕事をうまく進めるための組織になっています。
人口2000人強の舟橋村であろうが30万人強の富山市であろうが、住民の参画の気持ちに強弱はあまりないと思います。参加や参画という意味では自治体の大きさより行政の体質的なことでもあると思います。ただ、重要なのは、地域で何かあったときに、民主主義のセキュリティである住民の声が届かなくなるということです。1つの小さな自治体の大きな出来事が合併後は1つの地区の小さな出来事になってしまう、ということです。 私は山に住んでいます。猿やニホンカモシカの問題、平野部でも被害になれば、駆除の話とか出てくるでしょう。でも、今は、猿やニホンカモシカは国の天然記念物ということで保護されています。猿の駆除については多様な意見があると思いますが、少数の意見は、議論の俎上にのっていないようにも思います。当事者の声が届きません。自分に関係ないという無関心層に押し切られる不幸。人間すべてのことに関心を寄せることはできません。ならば、やはり共同体としての小さなコミュニティを意思決定の単位として残す必要があると思います。
少数意見でも、合理的な意見をどうやって無視しないで社会の中に取り込んで いくかということだと思います。富山市桐朋学園問題やゴミ処理場、高岡市金谷地区の斎場問題もその範疇と思います。斎場問題にからみ砺波市編入請願で市境界線の変更について、高岡市長は、「市民の理解が得られない」としています。 金谷地区だけなら、十分理解が得られています。大きな自治体だと、その中で大多数の意見が通ることになるでしょう。
住民の声という民主主義のセーフティネットとしての直接投票を機能させる意味でも、意思決定を小さく残しておく必要があると思います。

【新ちゃんメモ】
富山県では工事事務所や福祉事務所の統合が検討されていますが、事務所の統合と自治体の合併は根本的に違います。つまり、工事事務所は意思決定は本庁、つまり出先機関です。自治体の場合は、小さくても自治の単位です。

自治体規模が大きくなると、議会が政党的支配などパワーゲーム化していく。国政では方向性や国のあり方を決めるという意味である意味大事であるかもしれないが、基礎自治体である市町村は地域の具体的な問題解決を担う。問題解決においては、いかに地域から知恵が出てくるか、プラス志向の人づくりがなされるかということが重要である。問題解決において、主義主張などのパワーデームはそぐわない。パワーゲームでない当事者たりえる議会のためには、小さな自治体の方がいい。もちろん、事務運営などは広域対応をすべき。2002.6.9

長野県の田中康夫知事は、H14.11.14の中部9県知事座談会で、 「過去の合併でいったん市に組み込まれた地域は、その周辺市町村のように 合併についての住民投票ができなくてよいのか」と発言。個に立脚した素晴らしい考え方だと思う。2002.11


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■■■市町村合併で効率化すべきところが効率化されない■

市町村合併では意思決定という大事なものを失ってしまう。ところが期待される事務運営など効率化されるところがあまり効率化されないのではないか。多少効率化されて支出が少し減るという効果はあるとしても、それ以上に知恵や工夫というもっとも大切な部分が失われてしまうと思う。例えていえば、1億円で1億円の行政サービス満足度の事業があったとして、効率化で事業費は9000万円に削減できるかもしれないが、知恵と工夫が生まれない、もしくは、住民ニーズと乖離してしまうので、行政サービス満足度は7000万円になるかもしれない。これでは、-2000万円の赤字とも言えるのではないか。
市町村合併で議員数が減るということが自治体合併推進の大きな根拠になっているが、実はこれには大きな落とし穴があると思う。議員数が減ることにより、議員報酬については、多少減るかもしれませんが、それ以上に民主主義にとっての重要な意思決定を失うことになると思う。現在でも議会費は自治体予算の数%(市で1〜2%くらい、村でも2〜3%くらい)です。資質的にどうかなぁと思われる困った議員がいることも確かですが、民主主義の制度的には、意思決定 にはお金を使うべきです。せいぜい3%のことで大きなものを失っては元も子もありません。だって、自治体って、税金を集めて、意思決定をするというのが重要な役割 じゃないですか。大きな無駄をまず考えるべきだと思います。意思決定で経費を削るくらいなら、文化会館などをすぐにでも閉館すればいいと思う。
市町村合併が進展しても、住民への説明など、効率化することはできません。市町村合併で議員を減らして経費を削減するという大きな落とし穴を十分認識すべきと思います。
参考:人口1人あたり人件費など

【新ちゃんメモ】
田無市と保谷市が合併した西東京市は「これから10年間で約189億円も節約できます」と見積もっています。しかし、行政の見積もりはいつも安易です。富山の場合の例でいえば、平成11年7月にオープンした国際健康プラザ「とやま健康パーク」では、見込みの4割しか利用されていません。また、他の施設でも当初予算見込みとは違い、事業収入率の悪い施設が多くみられます。
参考:新ちゃんの公共施設ウオッチング

合併で貧乏になる。
合併で仕事は増えるが、基準財政収入は増えない。つまり自己負担。今後、自己負担増は必須だが、合併によらず、最初にオールジャパンでの負担増をすればよい。国や県のための合併?。で国や県は自己改革するのか?

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■■■議員数はもっと多くすべき?■

私は、議員数は倍増すべきとも思っております。 議員報酬はなしでもいいのでは。ボランティアで地域の会社や生活者である個人から出てもらいます。議員報酬がないと議員としての勉強できないという反論もあるでしょうし、そういう視点も納得できます。議員として期待されている立案機能やチェック機能を果たすためにはそれなりの報酬が必要という論も理解できます。だた、行政のチェック機能についていえば、富山県のような総与党体制では、チェック機能が弱くなります。そうすると、議員の役割は出身地域への利益誘導という役割になりがちです。こういう議員の役割は、自治体サイズが大きければ大きい程、問題が大きいように思います。報酬が高いから議員の質が高いということはないと思います。報酬を1/2にして議員数を2倍にし、生活者としての多様な意見を行政に反映できるとも思います。もし、議員報酬総額を減らしたいなら、議員数ではなく、一人あたり報酬額を減らすべきだと思います。

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■■■普通の人が議員になれない■

多様な人が議員になることが大切だと思う。生活者が議員になることが大切だと思う。大きな自治体になり、当選ラインが高くなると、地域的な実力者や組織をバックに持つ人しか当選できなくなる。これでは、議員がますます固定化され多様化が失われる。閉塞感も生まれる。女性や青年、勤労者など、普通の人が議員になれるということが自治体の腐敗を防ぐためには必要である。チェック機能を果たす議員という視座に立った場合、普通の人が議員であることの重要性が認識されるべきであると思う。

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■■■職員の官僚化(専門家も組織論理優先の冷たい専門家職員になるかも)■

自治体が大きくなると官僚的になります、縦割りになります。
公務員は公正を旨としてほしいが、でもその前に住民の代表としての存在であってほしいとも思う。自分のまちの問題点を発見し、こういう風にすればいいのではないかと知恵を出し実行する人。私は、小さな自治体にそういう雰囲気があるのではないとか思っている。大きくなるとそういう職員たりうるだろうか。職員が地域の全体像を把握できなくなり、政策を立案できるのか。立案したとしても形式主義にならないのか。
大きくなると専門家を配置できるというけど、全体を見渡せるということが自治体には大事と思います。「業務の専門家」ということももちろん理想ですが、その前に職員には「地域の専門家」であってほしいと思っています。地域の専門家になるためには、自治体サイズが大きいと困難になっていきます。

【新ちゃんメモ】
合併すれば、住民から離れた職員がどんどん増えるだけ。
→当事者性がなくなり、今でさえ税金が有効に使われていないのに、ますます有効に使うことが難しくなる。2002.3.3

大きな自治体になると、専門家職員が育つという。確かに、住民の視点にたった専門家が育てばいいが、単なる組織論理優先、住民の声を無視した組織論理優先の職員になってしまっては住民のチェックも効かず、住民は不幸。2002.6.9

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■■■農と森林を守る■

小さな自治体の不釣り合いの箱ものは問題が大きいと思います。地方交付税に頼った箱もの。地域循環や世代循環という循環型生活を逸脱した不必要な箱もの。ただ、山間地域など森や水田を守るということでいえば、その分くらいは過疎地域や山間地の小さな村に地方交付税の手厚さがあって当然だと思います。
「林野庁森林の公益的機能の評価について(2001.11)」70兆円/年
「農水省」農業農村の公益的価値4兆円/年
という数字があります。
現在、地方交付税は町村に5兆円(地方交付税全体は20兆円)です。棚田や森林を抱える山間部の町村の役割を考慮したとき、5兆円という絶対額がそんなに大きいとはマクロ的にはいえないとも思います。もちろん今の交付税傾斜配分のままよいとは思いませんが、棚田や森林を守る役割をしっかり認識した交付税制度にすべきと思います。財政危機を回避するという短期的でミクロの効率化ではなく、長期的な国富を考慮した地方交付税のシステムが必要だと思います。日本は第二次産業・第三次産業重視政策の中で、農業や林業は軽視されてきていると思います。しかし、日本は食料、エネルギー、すべてのことで国のセキュリティーがめちゃくちゃです。または少なくとも今後顕在化すると思います。山間部に豪華な施設を作るというのはどうかと思うけど、森や棚田を守るための交付税の傾斜配分については、それなりに理があると思います。
また、親を残して都会で働く子供。介護の日本全体としての社会化という意味でも、高齢化した地域には、交付税の傾斜配分があってもよいと思います。

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■■■都市部と合併しても問題が薄まるだけさらに不幸■

過疎地を都市部と合併して問題解決するという発想。これでは、過疎地の問題は薄まるだけで解決されません。薄まって問題が大きな自治体としては顕在化しないだけです。単に都市部と合併しただけでは、過疎地の問題は、その地域ではいつまでたっても解決されずに残るでしょう。薄まってしまい、むしろ問題が顕在化せず、誰も問題解決しようとせず、もっと不幸です。薄まってしまった問題については、大多数の人にとって自分には関係ないということで誰も解決しようとしないでしょう。自分に関係ない、もしくは当事者ではないということで、知恵や工夫が生まれず、過疎地の問題は一向に解決されないだろうと思います。

【新ちゃんメモ】
合併するというのは、相手の悪いところも引き継ぐということ。覚悟が必要。
富山市から、立山町の立山ブランドがほしいとかそういう打算ばかりが先行。
生活者を引き継ぐということをしっかり認識してほしい。
人口も増えるが面積はそれ以上に増える。

過疎地が都市部と合併することで、過疎地という共通の問題意識を持てない、つまり「当事者ではない人が増える」のが合併にとっての根本問題だと思います。また、少し話は飛びますが、市町村合併の当事者は市町村です。当事者である市町村の職員が自分たちはどうしたいのかという声が伝わってこない、むしろ、自分たちはどうしたいという意見を避けているというのがとても心配です。当事者の人が一番よくわかっていて、意見も持っているだろうに。
また、 高齢化率が高い地域はいかにもお荷物というような国や県の発想。高齢者を邪魔者にしたってはじまらない。高齢化は日本の宿命。自治体サイズを大きくして何とか薄めようなんていう発想は問題の先送り。高齢化は進展する。それにどう立ち向かうかということを考えるべき。お荷物扱いしてたってはじまらない。むしろ、合併による平均化ではなく、高齢化率が高い地域はそれをしっかり受け止め、解決するような誘因を与えるべき。大きくなって問題が薄まってしまえば、横並びの知恵しか出て来なくなる。

地域の文化が消えないためには、「他人任せ」ではだめですよね。苦しくても、自分たちのものとして頑張る必要があるのでは。富山市を見てると、地域の動きは「他人事」です。"おお、やってるか"みたいな。当事者じゃないのです。当事者意識なき者からは知恵や想いは生まれません。富山県西部というか、砺波平野地区には素晴らしい文化があります。どの市町村もそれぞれ個性ある文化があるので、文化を大事にしようというコンセンサスは各市町村にあるというのが砺波平野地区のハッピーなところです。富山市周辺にはそのような相手を思いやる気持ちや共通の文化意識はありません。ということで、砺波平野については合併してもそれなりに尊重されるとは思いますが、それでも、何で合併するのでしょう。鶏口牛後ですよ。地域の文化を残したいなら、より小さく密度濃くまとまるのがいいでしょう。小さく密度濃くを前提として、検討して、で、自分たちでやっていけないという結論に達したら、合併?。でも、その時点でもう、その地域文化は衰退への道かな。だって、自分たちでできない、つまり当事者が諦めたのだから、当事者以外の誰がやろうと思います?。歯を食いしばってやらないと駄目だと思っています。 ところで、各市町村には「総合計画」というのがありますよね。あれって、財政的な裏付け、何でないのでしょう。例えば、富山市の償還ピークがいつで、どのように資金を調達して、みたいな。市町村合併の関係資料としては、現在の負債残高がいくらというだけで、今後の資金需要の情報は出されていません。今後の資金需要とかを出さないと、歯を食いしばればいいのか、他人任せにしかならないのか、市町村合併の判断を住民ができないと思うけど。

富山県の山間部上平村や平村はむしろ、富山そして日本の先進地だと思います。というのは、高齢化による縮小循環型になりつつあるからです。人口もあまり減らなくなっています。東京も20年後には、高齢化率が上平と同じくらいになります。まさしく縮小循環の暮らしとはどういうことか、の先進地だということで注目したい。

私は、富山市や高岡市は合併したらだめだと思います。吸収合併はうまくいきません。合併するなら、大沢野と大山とか、立山と上市とか、同じような人口規模が集まって、いっしょに頑張ろうというのが一番いいと思います。大きなところがいると、必然的に上下関係になり、合併は失敗します。他人任せになるからです。職員が育たないからです。住民にも人口規模による上下関係が根づいています。合併するとしても、県内の9市は合併しないで、残りの町村で合併していけばいいと思います。町村が市と合併するなんてのは、大きさに対する単なる甘えです。頑張るという発想ではないと思っています。また、人口規模にプラスして、同じような問題を抱える自治体同士でなければ合併は失敗します。生活における解決すべき問題が同じだからこそ、住民は自治体に参加し、自分のためにも責任を果たそうとするでしょう。参加のキーワードは「役割感」です。自分の役割が見えることが住民参加の前提です。生活圏が一体だからということでは住民には参加意識は芽生えません。問題を共有できるということだ大事です。住民や職員が主体的に自治体と係われる合併でないと合併は失敗に終わります。2002.7.7補足

まちづくりにはリアリティが必要。合併すると問題点のリアリティが薄れ、地域の問題解決能力が低下する。2002.6.2

人口規模が大きな自治体との合併ケースは、大きな都市にフリーハンドを与えるようなものかも。多数派という暗黙のフリーハンド。2002.6.9

小さな人口市町村は、合併で対等合併といえども吸収合併と同じであり、選出議員数も減り、いわば泣き寝入りの状態となる。泣き寝入り発想からはまちづくりや自治にとってもっとも大事な知恵がうまれてこない。2002.9

合併の効果として、高齢化対策というが、合併すれば高齢者や高齢化予備軍が死に、高齢化率が低下するわけではない。単に高齢化率の低い都市部と一緒になることで、平均化し薄まるだけだ。薄まるということは問題解決を遅らせるだけだ。または問題解決にあたり、画一的で高コストな解決策しか出て来ない。2002.9

高齢者の存在自体が悪いのではない。高齢化率の高い自治体の存在自体が悪いのではない。高齢化率の高い自治体は、結果的に全人口一人当たりの歳出は多くなる。当たり前のことだ。今、小さな自治体の存在自体が悪いという話になっているが、悪いのは、例えば、一人当たり高齢者に対して、無駄遣いをすることや満足度の低い施策である。決して小さな自治体が自動的に悪いとは思えない。小さい大きいという単一軸による評価ではなく、しっかりした税金の使われ方のチェックが必要である。2002.11

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■■■町村や市、県、国は対等■

総務省の高部審議官が富山での議員対象の勉強会(h13.10.29)で、「富山は地形的に合併しやすい、合併に対する障害が少ない」という趣旨の発言があったようだ(北日本新聞)。まさしく、この発言に国の思いのすべてが含まれているように思う。つまり、相対的な発想。相対比較で物事をみる発想。市町村合併は、地形的にやりやすかろうが、やりにくかろうが、住民の意思が尊重されるはず。表向きそのようなスタンス。しかし実際は、この発言にもあるように、地方自治の本旨をないがしろに、国の論理がどっぷり。町村より市が偉い、市より県が偉い、県より国が偉い。こういう感覚だから、地形的にやりやすいのになんで富山県はもっと合併しない!!!みたいな、住民無視の発想になるのではないかと思う。
財政が厳しいなら、国のご都合ではなく、長期的な国づくりという視点にたって、交付税をズバリ減らせばいいのです。恣意的ではなく、森の価値や棚田の価値をしっかり認識しながらの地方交付税改革。交付税を減らした後、各市町村が自主的に考えるという環境が大切だと思う。苦しくても自分たちでやっていこうという自治体もあれば、自主廃業する自治体があってもいいと思う。合併特例法にあるような、アメを最初に与えるやり方では、住民も選択を誤るのではないか。ムチがしっかり把握できた方が真剣になると思う。自己責任ということでも。
30万都市の方が3万都市より上。こういう先入観が問題。大きさという幻想の勝ち組にのる発想。それは自立ということではないと思う。町村や市、県、国は対等である。この原点にたって市町村合併をぜひを考えるべきだと思う。

【新ちゃんメモ】
自己目的化。合併は「手段」なのに「目的」となっている。
シャウプ勧告では、市町村は生活行政、都道府県は産業行政を担うという原則論があった。

各都道府県がそれぞれ合併を誘導すべく、合併誘導の数字のみを取捨選択してホームページに掲載しています。
■鹿児島県
区    分 全 国 鹿児島県 全国順位
都道府県当たり市町村数 69 96 6
人口10万人当たり市町村数 2.57 5.35 9
面積100km2当たり市町村数 0.85 1.05 25
■愛知県
自治体あたり面積が全国平均より小さいとして危機感を醸成

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■■■自治体のご都合主義と民主主義のセキュリティ■

自治体は基本的に勝手です。ご都合主義です。これは小さな自治体にも言えることだと思いますが、大きな組織ほど顕著だと思います。民間企業ではお客さまに支持され選択されないと生き残れません。お客さまに支持され売れるかどうかということが評価基準となり、企業の存在価値の検証になります。自治体の場合は、基本的に評価検証できない組織だと思います。自治体の事務事業を検証するということは、ダメだった事業を指摘するわけです。ダメだった事業を指摘すれば、ダメだった事業を推進した人の肩身が狭くなります。そういうことを行政はしません。やることに対して評価するわけで、とにかくやればいいのです。イベントとか制度をとにかく作ればいいのです。やったことがどれだけ効果があったかはあまり問いません。問うとしても、外部には失敗を明らかにせず、なあなあ的にします。物事を勝手に解釈する体質がある以上、どれだけ検証システムを整えても苦しいかな。行政の評価システムは、議会とか監査委員です。議会は総与党でその機能は弱くなっています。監査でいえば外部監査が実施されており、富山県の場合初年度はなかなか機能したようですが、これじゃいかんということで、行政側が対応している段階と思います。 検証、いわゆる行政評価。これはすごく大切だけど、民間企業でも悩んでいる難しい問題だと思います。私は、第三者評価(外部評価)より、自己評価というのがとても大事と思っています。第三者評価では、自治体内部での人づくりに直結しないので、その場限りになってしまいます。自己評価は自治体職員の人づくりに結びつくのでより重要と思います。ところが、行政は、でるくいは打たれる的な組織なので、自己評価をして、いざ、正論を言う人や職員がいたとしても、組織の方向と違っていたらそれは抹殺されます。干されてしまいます。今の行政の体質がある限り難しいでしょう。これは自治体に限らず、大きな組織の普遍的なものかもしれません。知恵が生まれる自治体。それは、職員の思いと情熱が源泉です。でも、その思いが評価され応援されるのは、自治体としてもwelcomeだからです。いくら住民に共感される施策でも、自治体の組織としての方向と逆の知恵が出てきたときは、それがほんとの知恵だとしても抹殺されます。組織のミッションを遂行する。大きな組織だと、基本的に、大きな組織としてのミッションが前提となり、そのミッションを遂行するという範囲における知恵が評価されます。その組織としてのミッションが間違っていたときに、軌道修正が難しくなり ます。大きな自治体ほど、軌道修正が難しいように思います。軌道修正のきかない船に乗った職員も、大きな自治体の場合、より多くなります。たとえ疑問に思ったとしても、組織人である以上、異論を唱えることは干されるので自己防衛として無理です。
大きな組織になると、その組織全体が一つの理念みたいなものに覆われます。住民はそこから逃げることができなくなります。大きくなったらなったで、自分も富山県民100万人の1人として参画して、改善策を提言すればいいのでしょうが、それには無理があります。 最初から説得する相手が大きすぎてしらけてしまいます。あきらめです。私は、多様化という面でも、いろんな首長さんがいて、で、その自治体の範囲を超えて住民が選択できるというのがホントの重層性を持つ多様性だと思っています。また、多様性というのは、一見、お金がよりかかるように思われますが、一つの政策や軸ですべてをフォローするというのはかえって無駄が多く発生すると思います(広域下水道をイメージ)。 心のこもらない形式的な多様化より、それぞれの自治体の思いがいっぱいつまった広域選択としての多様化がいいなぁと思っています。受益と負担ということがあると思いますが、選択ということが競争を生むでしょう。大きな自治体になるとどうやって競争するんでしょう。今の行政の評価行動パターンは、比較ということにつきるように思います。比較するものがなくなって、広域選択という「擬似voting on foot」という競争条件がなくなれば、多様化や選択とは逆の上意下達的になっていくと思います。

【新ちゃんメモ】
総務省は、議会間接民主主義との整合性で、住民投票に対し積極的ではありませんが、市町村合併に限っていえば、議会が否決しても住民投票を実施できるようなしくみを検討中です。つまり、普通の住民投票は、国にとって都合が悪いから制度化しないが、市町村合併に関する住民投票は国にとって都合がいいから制度化しようというスタンスだと思います。


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■■■システムとしての民主主義の後退(民主主義のセキュリティ確保)■

1つの小さな自治体の大きな出来事が、合併後は1つの地区の小さな出来事になってしまう。
民主主義の大事なシステム、住民投票などの直接民主主義システムが機能しなくなるのではないか。
例えば、ごみ最終処分埋め立て地
自分に関係ないという無関心という力(大多数)に押し切られる不幸。
当事者は犠牲となり従属せざるを得ないのか?
当事者である少数は無視されるのか?
自治の命取りとなる無関心層を助長させるのが市町村合併?
いわば、民主主義のセーフティネットとしての直接民主主義システムをないがしろにするのが市町村合併かも。
民主主義のセキュリティ確保ということからも市町村合併には多いに問題があると思う。

【新ちゃんメモ】
直接請求の要件が、地方自治法の一部改正(平成14年3月20日の参議院本会議可決)により一部緩和されたが、基本的には、条例制定や監査請求は有権者の50分の1以上の署名、首長や議員の解職や議会解散は3分の1以上の署名が必要だ。合併により、比率は変わらないというものの、署名数としては、人口に比例した数が必要である。直接請求は、議会制民主主義を補完することや行政の暴走を牽制する意味で、ハードルは高いものの民主主義にとって大切な制度である。合併すれば、直接請求をするための問題意識を、広面積範囲で当事者的に共有することがより難しくなり、直接請求の意義がますます機能しなくなる。重要なのに自分のこととして考えられない問題がたなざらし、または逆に強行される。。市町村合併は、直接請求を機能させなくするしくみである。住民による自分の意思の反映という自由を薄くするしくみでもある。民主主義のセキュリティにとって制度的後退である。2002.9

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■■■集権体制化■

市町村合併は、より一層の集権体質化だと思います。市町村合併によって、確実に少数意見は無視されていくことになるでしょう。直接民主主義的なものも機能しなくなっていきます。ただ、財政危機は何とかしないといけません。財政危機は市町村合併するだけでは根本的に解決できません。 今回の合併の最大の嘘というか、結果的に失敗となるであろう最大の問題点が、市町村合併で財政危機がなんとかあるという幻想だと思います。アメを先に与えるやり方ですが、市町村合併でいろいろ特典するくらいなら、すぐにでも、地方交付税を減らせばいいと思う。苦しさを味わうことで、自分たちで解決しようと思う自治体もあれば、合併に逃げる自治体もあるでしょう。合併というのは、基本的に自己責任をないがしろにするシステムです。 アメによって市町村合併が進んでも、そのあとにはまた責任のない自治体の姿が待っていると思います。そして、考え方や仕事の仕方が変わず、ずうたいだけ大きくなった自治体。かえってやっかいな存在になってしまうのではないだろうか。

【新ちゃんメモ】
住民自治の空洞化

合併は、結局少数意見の切り捨て。強いものはより強く、弱いものはより弱く。2002.5.18

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■■■首長や自治体職員の顔の見える自治■

住民の意見を行政に伝えるには議会を活性化させるか、行政に直接提言するしかありません。大きな自治体の場合は、顔が見えなくなる傾向があると思います。大きな自治体になればなるほど、首長や職員は、住民それぞれ個々人ではなく、組織の長などとやりとりするようになります。これは、自治ではなく、既得権や組織に軸足をとり、腐敗への温床となると思います。住民の生活への問題解決ではなく、組織とのやりとりとなります。
参考:首長との対話時間
首長の一年間は365日×24時間×60分で525600分。
人口2万人の首長なら、 住民1人あたり26分の対話時間を持てる。
人口30万人の首長なら、住民1人あたり1.75分の対話時間しか持てない。

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■■■人づくりにマイナス■

知恵を生み出すのは人。自治体の場合も人である。首長もそうであるが、私は職員に注目している。小さな自治体の職員の方が知恵を生み出しやすいと思う。自治体は言われた仕事をこなすというのが本来の仕事ではない。住民ニーズをくみ取り、その地域にあった政策を考えるのが自治体職員として求められていることである。企業では「考える社員」をいかに育てるかが競争に勝ち残るポイントである。自治体においても考える職員をどれだけ育てれるかが自治体間競争に勝つか負けるかのポイントだと思う。勝ち残るか否かは実は自治体規模とは無関係の独立事象だと思う。考える人を育てる環境としては、自己完結ということが必要だと思う。つまり、成果が厳しく評価される環境下で「任される」ということ。小さな自治体であれば、職員に自分の役割がはっきり認識され、自分の働きが自分の住む地域へのリターンとしてはっきりかえってくる。大きな自治体の場合は全体像が見えにくくなり、歯車としての係わりになってしまうと思う。自分の住む地域へのリターンというよりは、完全に仕事としての職員になってしまうと思う。地元が発展しようがしまいが、自分がアイデアを絞ろうが絞らまいが、自治体は給料をもらう場となってしまわないか。地域の代表として働いているという環境が大事だと思う。そして、住民のニーズが痛いほど自然に伝わり自分も当事者として身に沁みてわかっているという状態であることが必要だと思う。大きな自治体の場合、専門家職員を確保できるというが、自治体の場合の専門家としての条件は、まず「地域への思い・情熱を持った専門家」ということだと思う。地域への思い・情熱を持った専門家として存在するためには、自治体は小さくないとそもそも無理があるように思う。また、職員はその自治体が抱えている問題の当事者である、または当事者に近いということが知恵を工夫を生むのに重要なポイントと思う。自治体職員が住民の代表であるとともに当事者であるということがとても重要だと思う。
過疎地を吸収合併したとして、新自治体の職員の多くは都市部に住む。当事者ではない。当事者ではないのだから、吸収された地域に対する有効な施策が打ち出されるはずはない。
当事者たるなど行政特有の事情を考慮すれば、小さな自治体の方が、人づくりという環境面では優位だと思う。

【新ちゃんメモ】
知恵が大きな自治体から生まれてきたかを検証する必要がある。もし、知恵が小さな自治体からより多く生まれてきているとすると、市町村合併で大きなものを失うことになる。

知恵を生み出すために、「地域資源」をいかに有効に活用できるかも自治体の重要な原点だ。富山県内の事例で恐縮だが、越中舟橋駅のパークアンドライドは大成功となっている。越中舟橋駅は、舟橋村唯一の駅である。さて、お隣越中三郷駅。こちらも、(1)常願寺川の右岸で富山市中心街へは渋滞の橋を渡る必要がある。(2)電車の本数も舟橋と同じで便利。(3)周辺からの交通アクセスもよい。(4)駅周辺に適当な空き地もある。など、舟橋駅と同様の成功環境にある。それなのに三郷駅には知恵が注がれなかった。これは、富山市であったがために、共通の思いが三郷駅には集まらず、三郷駅の潜在的な資源が活用されなかった、目を向けられなかったからだと思う。この事例からも「地域資源」をいかに有効に活用するかは、小さな自治体の方がよいと思われる。
参考:マピオンの地図
参考:諏訪秀昭さんのページ(富山地方鉄道路線図)

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数字で考える市町村合併

【首長との対話時間】
首長の一年間は365日×24時間×60分で525600分。
人口2万人の首長なら、 住民1人あたり26分の対話時間を持てる。
人口30万人の首長なら、住民1人あたり1.75分の対話時間しか持てない。


【海外の状況】
日本の市町村数は3,200余、平均人口は38,500人
イタリアの市町村数は8,000余 、市町村の平均人口は7,100人
ドイツの市町村数は14,500、平均人口は5,600人
フランスの市町村数は36,500余、平均人口は1,600人
デンマークの市町村数は275余、平均人口は約2万人
スウェーデンの市町村数は289余、平均人口は約3万人(最少3000人)
(注)市町村の役割は、各国で違います。


【行政コスト】
人口規模と住民一人あたり行政コストは、1万人を下回ると加速度的にコストが増加する。
小さな自治体は、日本の農業と森林の価値などを社会性を担っているし、自治体面積なども考慮する必要があることから、行政コストが大きいことがそのまま悪者扱いはできないが、社会的検証が必要。
また、理論曲線からは16万人が行政コスト最小というようなデータが出るが、例えば3万人と2万人と1万人が合併して6万人になる場合では、曲線上からも行政コストが大きく減るということは考えられない。これくらいの規模であれば、むしろ、規模というより、個々の自治体がどんな努力をするかということがより重要である。合併しても自然に行政コストが減るというような規模ではなく、合併しても努力が必要。改革の努力を合併してするか、合併しないでするかの選択。

全国データ

グラフの見方
横軸は対数表示。よって、1000と10000の真ん中は約3160人、1万と10万の真ん中は約3万1600人。
(出所)島根県のホームページ http://www.pref.shimane.jp/section/gappei/houkoku/c_patan/pat_12b.html
人口5万人未満拡大(島根県) http://www.pref.shimane.jp/section/gappei/kouiki/1_naze.html

(参考)自治体面積と歳出額
「市町村合併と地方自治の未来」加茂利男著から



【市町村数】

出所:北日本新聞

【市町村規模と職員給与(ラスパイレス指数)・議員報酬】
作成予定



【段階補正の影響分析】

→概ね、小さな町村ほど影響は大きい。
→人口規模段階補正がない(非現実的)としても、最大で17%の影響である。


【留保財源率の引き上げの影響分析】

財政全体としては中立。(影響なし)
しかし、個々の自治体には財政力の差により影響あり。

基準財政需要額を100%→85%と国が一律に設定し、留保財源率を25%→40%に引き上げるケース
地方税の割合が10%ケース
(下村なみ)
歳入の6%強に相当する地方交付税が減額される。
地方税の割合が30%ケース
(魚津市なみ)
歳入の1%強に相当する地方交付税が減額される。
地方税の割合が50%ケース
(宇奈月町なみ)
歳入の1%弱に相当する地方交付税が増額される。
→財政力の弱い自治体は地方交付税が減る。逆に増加する自治体も出てくる。
→基準財政需要額をナショナルミニマムとして、削減に待ったをかけたいという考え方もあるようだが、基準財政需要額自体が膨れ上がっているという事実を直視しなければならないのではないか。問題は、なぜ、財政力のある自治体が優遇?されるかということ。財政力がないのはある意味、仕方のない面がある。合併しても、その地域がすぐに財政力が豊かになるということはない。財政力に目をつけた削減はいかがなものか。財政力のあるところに依存せよ!ということだ。努力せよということではない。自治体の無駄遣いなど、もっと個別に評価して、需要額を減らすべきだ。

地方税が増減するケース
地方税が10%減少した場合 留保財源率25%(現状) 地方税×7.5%が交付措置される
→実質、地方税×2.5%が減収
留保財源率50%引き上げケース 地方税×5%が交付措置される
→実質、地方税×5%が減収
地方税が10%増加した場合 留保財源率25%(現状) 地方税×7.5%が交付税減額される
→実質、 地方税×2.5%が増収
留保財源率50%引き上げケース 地方税×5%が交付税減額される
→実質、 地方税×5%が増収
→より自治体の努力が反映されるしくみになることは好ましい(基準財政需要額算定に恣意性のない変更を前提)





【合併による効果の分析】

  自立効率化効果 首長と議員の削減 議会総務部門職員の削減 歳出総額
富山11広域圏 1.7% 0.4%
7.48億円
1.3%
26.3億円
2030億円
高岡4広域圏 1.9% 0.5%
4.82億円
1.4%
13.8億円
1018億円
射水5広域圏 2.7% 1.3%
4.59億円
1.4%
5億円(未算定)
353億円
新川5広域圏 1.8% 0.9%
5.58億円
0.9%
5.20億円
609億円
砺波12広域圏 2.6% 1.5%
12.03億円
1.1%
8.96億円
818億円
合併による直接的自立効率化効果は、せいぜい3%でしかない。
大合併という前提でもこの程度である。


→合併論議で、議会費がやり玉にあがっているが、歳出の1〜3%にしかすぎない。
→人口規模とは多少の相関がある。(人口との相関係数 -0.49)
(参考)市町村別特別職の給与


→市町村合併により、総務費の削減が目指されているが、規模が大きいからといって効率的だとはいえない。
(人口との相関係数 -0.12)


→市町村合併により、職員の削減が目指されているが、規模が大きいからといって効率的だとはいえない。


→概ね小さな自治体ほど、職員給与は低く、人口当たり職員数のみで効率性を判断すべきではない。
(参考)市町村別特別職の給与


【富山県内自治体の財政状況分析】
人口1人あたり人件費など
公債費負担率など
地方債現在高


→一部の村には、合併による社会性が見いだせるともいえる。


→一部の村には、合併による社会性が見いだせるともいえる。
→人口規模との関連性は薄い。(人口との相関係数 -0.26)


※実質財政負担=地方債現在高+債務負担行為−積立金現在高
→過去に努力した自治体とそうでない自治体がある。規模でない面もある。


※実質負債(実質財政負担)=地方債現在高+債務負担行為−積立金現在高
→一部の村を除き、合併の緊急性は見いだせない。
→過去に努力した自治体とそうでない自治体がある。
→人口規模との関連性は薄い。(人口との相関係数 -0.17)


私が認識している合併の必要性

地方分権の受け皿
生活圏の広域化
地方自治の構造改革
一部事務組合や広域連合では、公選の長ではない
今の自治体は自己変革能力に乏しく、また限界があり、合併などの外科手術が必要。
(働きの鈍い公務員が多い?民間に比べて非効率が目立つ?気楽?)
(議員や役所との間で積み上げてきた人間関係を通じての利益誘導が横行している。市町村合併で既得権の喪失)
自治体の「自立と責任」を考えたとき、合併するしかない?
自治体である以上、規模の大きな自治体と同じ種類の事務をこなさなければならない。民間企業なら小さな企業は得意分野に特化して生き残っている。
小さな自治体はチャック機能に問題あり。(例:利賀村助役の公金横領事件)
小さな自治体は議会の機能がはたされていない。
小さな自治体の議員の資質に問題ありとの声。(大きな自治体も同じではとも)
小さな自治体は法律的に稚拙な施策を実施。思いつきの施策。(都道府県が尻拭い?、ただ個性的な施策を実施しているという評価にも)
小さな自治体はなあなあ主義が横行している自治体も。合併により血の入れ換えをしないとどうしようもない自治体も。
小さな自治体単独でホールなど箱ものを整備したがる。
そもそも東京都も20年後は高齢者社会になり、地方交付税を拠出する側にはなれない。
(いつまでも地方交付税制度は残らない?、でも森や農の日本社会への寄与度は何か考慮されないとダメでは?)

富山県の場合、自主財源が義務的経費を満たす団体は次の9団体。
富山市、高岡市、新湊市、黒部市、大山町、宇奈月町、婦中町、大島町、上平村

こういう理由で合併を進めるべき・・・というご意見をお寄せください。
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【市町村合併を学ぶリンク】

総務省「合併相談コーナー」

富山県市町村課「考えよう市町村合併」
広域圏別合併希望相手先(県民アンケート)
合併パターン「富山県市町村合併支援要綱」

射水青年会議所「射水市のすすめ」

高岡商工会議所「市町村合併の主張」

高岡青年会議所「エリアたかおか広域圏を考える」

富山に「政令指定都市」誕生を!


北日本新聞「市町村合併特集」

朝日新聞「市町村合併特集」 水橋関係 10首長に聞く 富山市長

まちづくりと合併について(日本政策投資銀行藻谷浩介さんppt406kb)
合併や連携は不可避。コミュニティの再建に選挙も。

上越市市町村合併に関する研究報告書(改訂版)

市町村合併成否の実証分析(宇都宮大学藤田邦夫さん)


福島県矢祭町「市町村合併をしない矢祭町宣言」
国土の約2分の1を占める山村や離島等に在住する国民は、自治に参加する立場を、大きく失うこととなる
山村離島等の住民は、自治の権限を奪われて、投資を求める声すら小さくさせられるのであるから、自治そのものを失うのである
地方自治は、住民が、己の属する自治体の政治行政の善悪に、利害を敏感に感じる範囲で行うべきもの

市町村の大規模合併論に反論する(群馬県上野村長黒澤丈夫氏)

市町村合併反対論(伊予市議会議員玉井彰さん)

自治体問題研究所(合併問題リンク集)

自治労連(考えよう市町村合併)

マンガで噛み砕く市町村合併


YAHOOニュース 市町村合併

新ちゃん読書メモ
私が読んだ市町村合併関係のお勧め本がここで簡単に買えます
http://www.esbooks.co.jp/myshop/0000001150



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