中国あれこれ  その5  中国人との接し方アアアアア

 

 清潔で底の浅い現代の日本人に比して、底知れぬ懐の深さを持つ中国人ですが、彼らと付き合う際、つまり「交渉ごと」に忘れてはならぬ、5つのアを伝授します。

 

   ア あせらず

    ア あわてず

     ア あきらめず

      ア あてにせず

       ア あなどらず

 

           “何だ、こんな事か。”

  と思ったアナタ、この順番にスルドイ意味があることに気づいていませんナ。

 この一連のテーゼで言いたいことは、最後のフレーズだけのですちゃ。(越中国人もうど)  

 

  では、逐語解釈をば。

 

焦らずの巻

何せ四千年の歴史を誇る彼らですから、ローリングストーンズの名曲「Time

 Is On My Side (時は僕の味方)」じゃありませんが、時間カード

は最強カードだつー事をようく知ってます。

 ですから、「今回は何日までに、結論を出さねばならない。」てな情報を相手に言うと言うことは、自分のアキレス腱を相手に差し出しているのと同じ事。まず勝ち目はありません。帰国日ギリギリまで粘って、「ま、今回は一応“明日帰れ”との社命が届きましたので、一旦帰国しますワ。ほなマタ後日、ゆっくりと話し合いましょ。」とダメモトで言った途端、相手が譲歩したという話、ようく聞きます。

 

慌てずの巻

これは今の話と似ていますが、違います。つまり人格の問題を問題にしています。

某華僑が言ってましたが、ビジネス相手の社長と夕食を食べた際、乾杯の直後に契約書を取り出して説明を始めた日本人が居たそうです。(^^;)

これと似たような話ですが、台湾在住の中国人経営者の話ですが、出入りの日本人営業マン、何回か訪問した後に土下座して「うちの仕入原価はこれだけです、どうぞお宅の言値を教えて下さい。」と言ったとか。「あれじゃあ、商売の基本、値段交渉の楽しみがありませんがな。」とは中国人。

商売熱心と、「なりふりかまわないビジネス」とは全然違うのですねえ。

諦めずの巻

 中国人とのビジネスで日本人が驚くことの一つに、人間関係(含む金銭関係)以外の関係は通じないということがあります。わかりやすく言うと、例えば日本人ビジネスマン山田さんが手間隙(テマヒマ)かけて、張さんと信頼関係を築いているとします。その山田さんが定年、転勤、転職等の理由で今までのポジションを新任に替わる場合、その新任の人と張さんとの関係は、また白紙からスタートになるのです。日本の企業みたいな「引継ぎ」は無いと思ったほうが良いです。

 その換わり(ママ)、山田さんと張さんとの関係は後々までも続きます。人と人との関係は組織や法律などの“上に”鎮座まします国なのです。それだけ強い気綱を結ぶのですから、1回の宴会、数回のプレゼント、数百回のリップサービス位ではなかなか、「老朋友」(親友の意味)には成れません。諦めずコツコツと。

 

当てにセズの巻

 何やら面倒で大変そうなことばかり書いてきました。そして4番目の「ア」で更に決定的なことを書きますが、もう少しです。この峠を越えれば喜びの彼岸が待っている(カモシレナイ)のです。(^^)

 中国人に、やっかいな事や面倒なことを頼んだ場合99%の確率で、「無関係」メイクワンシー、英語で言えば No problem(問題ない!)という答えが返ってきます。そしてその言葉は2/3以上の確率で「問題が起こること」を意味しています。

 「起こってはイケナイ事は、起きる」というマーフィーの法則は、中国でも完全に当てはまります。というか、「起きるかも知れない嫌なことは、確実に発生する。」という位にバージョンアップされています。(^^)

 勿論、電話、交通等の社会的インフラが日本と比してまだまだまだまだまだまだまだまだ、、、という現況もありますが、基本的には「他人に対しては不親切」という数千年来のポリシーから来ていると思います。(^^;)

 これは私の気にいっているフレーズで、ネイティブ中国人たちも納得してくれている表現です。

 もし、「1文(ワン センテンス)にして中国人を説明せよ」と言われたら、

“自分チのおばあさんに対しては、よくもあれだけ親切にできるのに、余所のおばあさんに対しては、よくもあれだけ不親切にできる人たち。”つーフレーズです。

 いま日本国内に住んでいる日本人のほとんどは、中国人に親戚や友人はいないと思います。(^^;)そして、今中国に住んでいる13億人は、なまじ日本人と顔かたちが似ている為に、日本人たちから変に誤解を受けているとも言えます。

 だから、彼らを日本人の常識でもって当てにしてはイケナイ。双方ともに不幸な結果になります。

 少し長くなりましたが、この項の最後に「福建省人」について書いてみたいと思います。

 日本国内で問題(事件)を起こす中国人と言えば、少し前までは9割方が「福建省出身者」でした、しかも大抵は密入国者。私や多くのペキンや東北三省から来ている在日中国人たちと新聞やTVのニュースを知っては、「全く彼らのセイで中国人全体のイメージが悪くなっているね。」と眉を顰めていたものです。

 ところが、中国国内での福建省人に対する評価は、山東省人、四川省人に並んで好感度ベストスリーに入っているのですね、これが。「痩せた土地で、身を粉にして働く真面目な農民。」つーのがそのイメージ。

 このギャップが理解できたのは、次に引用する北京っ子の話からです。

“今でも福建省の農村へ行くと、立派な家が建っている。聞けば数年前に日本へ出稼ぎ(当然密入国)行ってた人の家。その隣の隣に立派な家が建築中である。聞けば現在日本で働いている人(当然、、、)の家である。そうなれば、その間の人も日本へ行こうと思うのが普通でしょ?”

 しかも私が調べた所では、福建省は農業に不向きな山地が多く(だから、銘茶が多い)、広東省と並んで華僑の一大輸出地です。兄弟で一番ダメな奴が家を継ぎ、能力がある者は皆、海外へ出るのが土地の因習なのです。

 「でもそんな、言葉も何もわからない異国の地へ、そんなにアッサリと飛び込めるモノかいな?」という私の質問に、ニヤリと笑って「日本人には無理ですが、中国人はやります。」と答えてくれたのは、もう一人の北京出身のインテリでした。

 真面目で(金儲けにも)実直な福建の農民から、暴利をむさぼって日本へ運ぶ上海(あたりの)マフィア(蛇頭)が絡んで、昨今の状況が出てくるワケです。

 中国での自分の30年分〜50年分の年収にも相当する金額(50万〜100万円)

と引き換えに、偽造パスポート(日本へ着いたら即、返品)と連絡先を書いた一辺の紙切れとを手にして、日本も日本語も日本人も知らない福建人は船で、飛行機で黄金の国(お前のデマが一番悪いゾ>マルコ・ポーロ)ジパングを目指しているのです。

 ここでシンミリしているアナタ、日本人ですねえ。中国人にとって見れば、「そんなん、当たり前。利益が出るからやっている、普通のビジネスに過ぎない。」のです。

 ビジネスその他のあらゆる交渉事にしても、「姿かたちが日本人と一緒だから、わかってくれるだろう。」なんて、決して思ってはなりませぬ。彼らは異教徒、異国人、異文化の民なのですから。

 

侮らずの巻

 

 へへへへ、ようこそココへ。

ベートーヴェンのシンフォニー第5番ニ短調(運命)が、ナゼあのフレーズで始まったか?同じく第9(合唱付)が、ナゼあの長い前置き(失礼!>ベートヴェン様)を延々と演奏するのか、それはヒトエに取りも直さず、フィナーレへ導きたかったからです。これはブラームス、ワグナーだってショスタコービッチだって同じ事。

 音楽界に輝くキラ星の例をとって、地べたの梅干のタネ(私じゃ!)が書きます、カキマス、恥をかきます、汗をかきます。(^^;)

 

 黄帝から尭、舜の時代を経て、221BCの始皇帝による統一。上部構造はさて置き、それ以後、陳勝・呉広の乱(209BC)、黄巾の乱(184AD)、紅巾の乱(1351)、安禄山の乱(755)、太平天国の乱(1850)に義和団事件(1900)、そして五四運動(1919)に満州事変(1931)と、民百姓のことなんぞこれっぽっちも考えてくれなかった為政者たちと、二千数百年間付き合ってきた中国人。彼らはまさしく偉大です、素晴らしい。その素晴らしい文化と伝統と人材を持った人々の今の姿、これがそのフィーナレーかい?決してそんなことはなか!

 

 彼ら自身、自信もあれば向上心もあります。

今までアアアアと、中国人に対してマイナスイメージを書いて来ましたが、それらの全てを精算してもお釣りがくる位に、彼らはしたたか(懐/フトコロが深い)です。

 わかりやすいところでは、フツーの日本人OLが書いた「てなもんや中国商社」の中にもエピソードがたくさん書いてありますが、一つだけ。

 「中国から輸入したセーターを検品したら、胸のワッペンが全部サカシマ。「絶対にダメです!」と彼女がカナキリ声を上げたら、担当の中国人が「これ位、平気だよなー」とブツブツ行って引き上げた。そして全部のワッペンをひとつひとつ糸を切り、それをまた縫い付けるという手作業を一晩でやりとげた。」

 「ナイものはナイ!」と言う、清潔で民主的な日本の人と、「ナイけどアル。」中国人。

今の私は、中国人的人間に魅力を感じる。

 ここまで、実に支離滅裂(中国語では、支離破砕zhi1 li2 po4 sui4)的に書き飛ばして

来ました。ついでに本章の結論をあっさりと書きます。つまりは、“彼らを「観音様」だと

信じれますか?“つー事です。本気で信じる事が出来れば、現代日本人の256倍素晴らしい

出来事が現出可能です。でも、信じることが出来ないならば、今までの期待は256分の1

以下にしかなりません。

 しかし、富くじ(表現が古いですネ。)と同じく、大当たりした外国人も大勢います。

個人レベルでのこの類の話なら、耳タコです。

 さあ、どうしますか?  

 

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